森元さん
今年も残すところ僅かになってしまいましたね。
お手紙の内容から癌の治療の様子よく分かりました。
治療のペースができつつあるようで良かったです。
以前お話ししたように私の父親も癌だったのですが、もう半世紀以上も前のことでしたから
当時は抗がん剤もなく、癌治療は手術での切除だけでした。
まだ40代だった父は進行も早く、80㎏以上あった体重も何度かの手術の末、
最期には35㎏程になってしまっていました。
今の医学ならもっと良い治療法で助かっていたかもと思うと・・・残念です。
抗がん剤も次々と良いものが開発されているようで、苦痛とされていた治療もどんどん負担が
少なくなって完治する患者さんも多くなっているといいますから素晴らしいことです。
と言っても実際に治療をされるご本人の精神的な辛さ大変さは変わらないかもしれませんが、
どうぞ負けずに完治まで頑張ってくださいね。
『自主退院の話』
私のたった一晩での自主退院についてお話しますね。何故・・・ですよね?
確かに以前別の病院で一週間の検査入院を無理矢理三日で退院したこともあるほど、
元々入院が嫌いなのは事実です・・・(笑)。
でも今回は私のわがままだけではなく、
簡単に言うと余りにもその病院の看護師さんの態度・対応が酷くて、
このまま入院していたら死んでしまうと思って逃げ出したのです
・・・有名な大学病院なんですよ。
痰が詰まって苦しくて、(私のような身体の不自由な者が使えるナースコールも用意してもらえなかったので)通りかかるナースに目で必死に訴え続けました。
私の顔も見ているから絶対に気づいているはずなのに、みんな無視して通り過ぎていきました。ようやく来てくれたと思ったら「なんなの?忙しいんだからいつでも思い通りにすぐにやってもらえると思ったら大間違いだからね!」と凄い目で睨まれたのです。
なんなの?と言われても私は喋れないし、見れば苦しがっているのはわかっているのに!!!
これが救急搬送で運ばれてきた人工呼吸器を装着した患者に対する扱い???
他にも暴言や乱暴なケアもたくさんありました。
同じ病室の他の患者のアラームが鳴っていても誰も来ないから
確かに忙しいんでしょうが・・・!
(ちなみに私の病室はナースステーションの前で、アラームが鳴っていてもステーションではナース達が大声で笑いながら楽しそうに雑談してましたけどね!)
確かに今回は夜間の緊急入院、それも病床が一杯で本来なら100人待ちというところを
訪問医の先生が病院のドクターに頼み込んで無理に入院させてもらったという状況、
コロナで看護師さんも疲弊しているのも解ります。それにしてもあまりに酷い扱い、
時計もないし鳴り続けるアラーム音と他の患者のうめき声を聞きながら、
朝が来るまで一睡もせずひたすら苦しさに耐えた夜でした。
『病気の治療と仕事』
周囲の理解を得て病気の治療をしながら仕事を続けるお話ですが、
抗がん剤治療をしながら仕事もされているとのこと、森元さんらしいです。
私もALSを宣告された段階では歩き難くなっていただけでしたし、
どのタイミングで取引先や仕事仲間のみんなに言うか悩みました。
病気が進行して車椅子になっても、話すことやパソコンはまだ今まで通り普通にできていましたので、取引先には「申し訳ありませんが脚がちょっとおかしくなってしまって、歩けなくて打ち合わせに行かれないんです」と言って事務所に来てもらったり、電話で何とか済ませてもらいました。
ただ翻訳の仕事はデスクワークでも何とかなったのですが、
イベントの仕事は、打ち合わせもですが、特に本番は現場に行かないと分や秒単位でしなければいけない指示もあって、徐々に厳しくなってしまったのは事実です。
このNPO法人の設立の際の挨拶にも書きましたが、私にとって仕事は人との出会いで、
一人でも多くの人に出会いたいと自分から積極的に動いて生きてきました。
多くの人と出会うことで自分の知らない世界を教えてもらって成長させてもらってきました。
それが全身が動かなくなり話すこともできなくなる病気になってしまった。これからは自由に自分の足で会いに行くことも、そして声を失うことで対面はもちろん電話で話すこともできなくなる、と思ったら病気のことを知らせる勇気がなかったのです・・・その状態になるギリギリまでは。
ましてや治療法もなく進行はしても治ることがない病気で、大好きな仕事がなくなること、大好きな仕事仲間と今まで通りに仕事ができなくなることが怖くて。
追記:
またまた長文失礼しました。長文ついでに(笑)森元さんに
「中島さんにとって今年を漢字一文字で表すとなんですか?」と聞かれていましたね。
考えてみましたが…【慣】かな。
*世間の皆さんはマスクを着けてのwithコロナの生活に慣れ、
私は曜日ごとに決まった介護サービスをしてもらう寝たきりの毎日のwith ALS生活も二年。
身体もその生活スタイルにようやく慣れました。
