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 緊急入院で運ばれた病室は、フロアは違っていましたがこの間までと同じ病棟。看護師さん達が順番に顔を見せに来てくれて「お帰りなさい・・・で、・・・どうしたの?いくら会いたくなったとしてもこんなに早く戻って来なくても」とからかわれてしまいました。

 ただ私の方はその時はすでに最悪の状態でした。サチレーションの酸素も90%を切り始めました。痰も喉と鼻の両方から吸引していましたが上手く吸引できず喉も傷ついて吸引器の中は血で真っ赤になっていました。緊急入院から看護師さんは交代で24時間付きっきりで見守ってくれる中、一週間をそんな状態で過ごしましたが、いよいよ呼吸も苦しくなり酸素マスクが装着されました。時々意識も薄くなり、気がつくといつの間にか病室から処置室に移されて二日が経っていました。もしかするとこのまま死んでしまうのかなぁと思っていたところ、主治医の先生が来て「中島さん、麻酔科の医師と相談をしまして今から15分後に気管切開の手術をすることになりました。胃ろう造設の手術の際、今後の延命措置(治療)については明確な返事を頂いておりませんでしたので、今のこの状況での最善の方法を取らせていただくことにしました。ご存知でしょうが気管切開をしますと声は失われ人工呼吸器が装着されます。ご了承ください。手術まであとわずかな時間しかありませんが、もし今のうちに話しておきたい方がいらっしゃいましたら、どうぞ!」・・・と言われても・・・(涙)

 ALSになった人の70%は、この気管切開を拒み命を落とすと言われています。私もいずれその時が来た時は身体が動かない上に声を失ってまで生きていても意味はないし、家族にも迷惑をかけるだけだから気管切開は断ろうと思っていました。その時がこんなに早く来るとは・・・。

 そんな感じで考える暇もなく、否応なく、有無を言わせず、手術が行われたのです。2019年10月10日、私が声を失った忘れられない日です。


 あれから一年、そして11月というと2017年の11月29日は私がALSで3~5年の余命だと宣告をされた、こちらも忘れられない日です。あれから早いもので三年が経ちました。

最初はすべてが未知のことで何をどうしたらいいのか、自分の身体がどうなっていくのか想像もつきませんでした。でも、ALSを宣告されてから常に相談にのってくれていた今のNPO法人TUMUGのメンバーの皆さんや優しくて親切なケアマネさん他、訪問医師、訪問看護、ヘルパーさん、訪問入浴、福祉用具関係、身体が固くならないように毎日ストレッチに来てくれる理学療法士さんとマッサージさん、夜の10時から朝8時まで毎晩見守りに来てくれる重度訪問看護の皆さん、本当にたくさんの方々のサポートのお陰で今もこうして生きていられます。

 そんな暖かい皆さんのサポートに加えて、今はベッドの周りには技術進歩した様々な医療器具や移乗用リフト、そしてコミュニケーションと私の意思表示に欠かせない視線入力のパソコンなどたくさんの素晴らしいツールも生活を助けてくれています。

 今年も残すところ一ヶ月を切ってしまいました。新型コロナでまだまだ大変不自由な日々は続いていますが、一日も早くコロナが収束し皆さんが以前のように活動できますことを祈っています。

 私も気持ちだけは病気に負けないように頑張ります。







 昨年の11月21日は、気管切開の手術のために二ヶ月の入院を終えて慶應病院を退院した日でした。早いもので声を失ってから一年が経ったことになります。気管切開をするまでは車椅子には乗っていましたが、話すこともできましたし食べたいものを食べ、もちろん会社にも行って仕事をしていましたので、退院したこの日からの人工呼吸器を装着した声の無い生活はそれまでとは劇的に変わった生活でした。

 実を言いますと、その気管切開の入院は全く予定していなかったものだったのです。

 昨年9月、担当医師に「今はまだまだ呼吸も問題ないし口や舌の動きも問題ないので食事も話すことも自由にできますが、ALSという病気は必ずそれらがダメになってしまいますから、体力のある今のうちに栄養を摂取するための胃ろう造設の手術だけはしておいた方がよろしいかと思います。」と言われ、また周囲の皆さんからも使っても使わなくても造っておいたほうがいいよと勧められたので9月14日に胃ろう造設のための入院をしました。9月17日に手術をして2週間、退院予定日の3日前くらいから38度前後の発熱、退院日の朝も熱が下がっていなかったら退院は延期と言われましたが根性(笑)で熱を下げ退院することができました。それが9月28日でした。

 入院嫌いの私にとっては2週間の入院は確かに長かったのですが、ベッドの向きや備品の配置を希望通りに変えてくれたり朝食をパンにしてくれる等、病棟の看護師長はじめ全部の看護師さんが優しくしてくれましたので居心地の悪くない入院生活でした。

 とは言っても無事に退院してやっぱり家はいいなぁと思っていたところ、退院した翌日になると急に高熱が・・・一晩様子をみましたが熱は下がらず訪問医の先生に連絡。駆けつけてくれた先生の診察の結果は、なんと誤嚥性肺炎‼だと・・・すぐに救急車を呼ばれて慶應病院に戻され緊急入院させられてしまったのです。9月30日、退院してわずか中一日でした。




最終更新: 2020年12月8日



 料理を食べるとき、例えば宴会等のときの礼儀作法も日本と中国では違うようです。

日本では床の間を背にした席いわゆる上座が一番良い席とされていますから、偉い人やその日のメインのゲストが座って、出入口に近いほど下になっていきますよね?これが中国では違います。その日のホスト、接待をする人、つまり簡単に言えば、その日お金を払う人が奥の中央の一番良い席に坐り、そのホストの左側が主賓、右がその次に大事なお客様と言う順序になります。

また、日本ではレストランなどで食事をした場合、伝票をテーブルの上に必ず裏返して置きます。これは「さり気なく請求することであり、お金を払う人以外に金額がわからないようにする」という事だと思いますが、これも中国では違います。中国では親しい人と飲食したときなど、ご馳走してもらった方が「いくらでした?」と聞くのはよくあることです。そして「安かったですね!」とも言います。それはお金の使い方が上手ですね!というほめ言葉でもあるようです。「高かったですね」では、値段に比べて美味しくなかったという事になってしまうようです。

また、食事などに招待された場合、その招待をしてくれた人に別の日に会ったとき日本人は必ず「先日はどうも御馳走さまでした」と言います。これが日本の常識と言われているからです。でも、不思議なことに中国人はあまりこれをしません。招待を受けたときに感謝やお礼の言葉はすでに言っているから、日を変えてそれをまた繰り返すというのは「また御馳走して下さい」と言う催促の意味になると思っているのです。

今回は― 日本と中国の文化・慣習の違い -「食」として4回に渡って日本と中国の食に関する考え方、慣習の違いの幾つかの例をご紹介しました。このような慣習の違いは中国に限らず各国にもあると思いますので、他の国の方々と食事をする場合、失礼がないようにするのは大変ですね。

次回は― 日本と中国の文化・慣習の違い -「お酒」としてご紹介したいと思います。