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更新日:2021年12月24日

中島さん


1泊の入院、お疲れ様でした。

自主退院されたとのこと。「あら、またですか?」というのが、一番の感想です。

私も6月に3週間ほど入院しましたが、主婦の身としては上げ膳据え膳で快適でしたよ。

看護師さんも優しいし。

私が仕事を始めた30年前と大違いです。


さて、先日抗がん剤の治療計画の半分が終わりました。

CT検査では癌の縮小が認められ、抗がん剤の効果はありました。

今後の治療を先生と相談することになっていたので、これまでの治療を振り返っていました。

現在の癌の治療は、3週間に1回の通院化学療法。抗がん剤の点滴を受けるのですが、

これは寝ているだけなので、全く苦痛はありません。心配していた吐き気等もありません。

(今は良いお薬があるんですね)

抗がん剤の点滴後、2日経過すると徐々に倦怠感が出現して3日程度寝たきりになります。

イメージとしては、インフルエンザの熱が無い感じです。

体中が痛くて横になっていないといられない。あの状態が3日程度続き、

その後は急速に回復していきます。

大体、治療~体力全快まで10日間程度でしょうか。

仕事再開まで2週間程度休む・・・という感じで過ごしています。


「治療で動けない時は家でじっと休んで、動けるようになったらぼちぼち家事をして、

体調が良い時に仕事をする。今はそういうスケジュールで過ごしていて、

これなら1年でも2年でも治療は続けられると思います。

でもね、これはもう老後の生活ですよ。」と先生に話すと、先生は笑っていました。


仕事と両立できる治療方法を、今先生と検討しています。


中島さんは、ALSが判明してからも長く仕事をされていましたよね。

周囲に病気をカミングアウトしなかったと記憶しています。


今私は職場に病気を伝えていて、それで勤務も配慮いただいているのですが、

何より嘘をつかなくて良い・無理をしないで済む…というのが大きなメリットです


中島さんには、出会った当初「仕事仲間に病気を伝えては?」と職業上提案しましたが、

結局仕事仲間に病気を伝えることはされなかったと思います。

そのあたりの心境を、今度お伺いできればと思います。


追記:

武藤さんの本、読みました。病気という制約があっても(あるからこそ)出来るチャレンジを模索し続けられて、スゴイなぁと思いました。体は不自由でも精神は自由だから、それを今以上に制約なく発揮できるツールを武藤さんなら開発されるのではないでしょうか。





森元さんへ


お手紙ありがとうございます。


改めて考えてみますと森元さんと初めてお会いしたのは、私がALSになって自宅での入浴ができなくなりデイサービスで入浴させてもらうことになって施設に行った3年前でしたね。

今だから正直に言いますが、あの時はデイサービスに来ていたほとんどが認知症の皆さんで、

その皆さんと、歌をうたったりいろいろな遊びをして、昼食もとって一日を一緒に過ごすことは、今まで考えたこともなかったのですごく抵抗感がありました。

私のそんな気持ちを何も言わなくても全て理解してくれていて、

居心地よく過ごせるように色々と気を遣ってくれたのが施設の責任者だった森元さんでした。

今考えてもどれほど嬉しかったことか。

それからは何か困った事があると何でも相談していました。


そんな森元さんのことですからOTさんとしてはもちろんですが、それ以外でも誰かの役に立っていることは間違いないと確信しています。

そして何度か話していますが、私はこの病気になる前は介護関係の仕事については詳しく知りませんでしたし、知ろうともしませんでした。

今こうして介護をしてもらう立場になると、介護という仕事がいかに介護される側にとっては有難く無くてはならないものだと思っています。


「藤本とし」さんのお話、すごいですね!「地面の底が抜けたんです」・・・わかるような気がします。

私もALSを宣告された時はそれほどのショックはありませんでした。・・・というより、その時ALSについて全く知識がなく、どんな病気なのかピンとこなかったという方が正しいかもしれません。ただその後ALSについて自分で調べれば調べるほどこわくなり絶望的になって「地の底に落とされたような気持ち」になっていったのです。


もう動くことも話すことも食べることもできず家族や周囲の皆さんに迷惑をかけるだけなら気管切開までして生きていても意味がない。人生を放棄しようとしていた私に、この病気になった今でなければできないこと今だからこそできることがあるからとNPO法人TUMUG設立の話を持ち掛けてくれたり、とにかく前向きに生きる気持ちにさせてくれたのも森元さんでした。


その森元さんから癌になっちゃった!と聞かされた時は言葉が出ないほどの驚きでした。

二人でALSと癌はどっちがいいか?と辛いことや良いことを並べて競ったこともしましたけど、辛い抗がん剤治療をしながらも今までと変わらずに明るく私を勇気づけてくれるあなたは本当に「凄い人です!」


今は藤本さんの時代よりずっと技術も進歩していて、私もこうして視線入力と指一本でもパソコン入力ができています。もっともっと前向きに生きないといけませんね。


    ※27歳でALSになった武藤将胤さんの著書

           「KEEP MOVING-限界を作らない生き方」がいいですよ!



追伸:

二年前の10月10日は私が声を失った日、気管切開記念日です。日々介護サービスに来てくれるたくさんの方々のお陰で何事もなく、二年が経ちました。

・・・・・・実は、上記まで書いてそのままにしてあったのですが、その2~3日後、呼吸が苦しくなって血圧も180を超えて救急搬送されちゃいました。救急車に乗ったのは二回目です。一週間の入院と言われましたが、とりあえず一晩入院したら容体も落ち着いたので自主退院しちゃいました(笑)


全てのサービス事業所に「中島さんは一週間の入院になりましたので、一度サービスを休止してください」と連絡をしてくれたのに、翌日また「中島さんは一週間の入院の予定でしたが、退院されましたのでサービスをお願いします。」と連絡をすることになってしまったケアマネジャーさん、本当にごめんなさい。








こんにちは。森元です。

今日は、眩しいほどの良いお天気です。

中島さんの部屋にも明るい陽射しが差し込んでいるのではないでしょうか。


今回から、中島さんとのやりとりを「往復書簡」という形でブログにあげようと思います。

中島さん、ご協力をお願いいたします。


さて、私は作業療法士(OT)というリハビリの仕事をしています。

OTとして働き始めて30年になりますが、「本当に役に立っているのだろうか…」と

今でも思うことがあります。

対象者の方を理解するためには、ご本人から話を伺うのが一番なのですが、もう一つ、

「闘病記」を読むのも役に立ちます。

私が今でも読み返す闘病記の1冊に「地面の底がぬけたんです」(藤本とし著/思想の科学社刊/1974年)があります。印象的なタイトルでしょう?


藤本としさんは、ハンセン病の方です。ハンセン病は皮膚と抹消神経障害が生じるのですが、その経過で手足や顔が変形したり、目が閉じないことで失明したり…という後遺症が残ることがありました。外見に障害が分かることもあり、長く不当な隔離の対象となっていたとこはご存じだと思います。今はハンセン病は完治する病気ですが、藤本さんが罹患した当時(大正8年)は、不治の病でした。

この本のタイトル「地面の底が抜けたんです」は、藤本さんが、自分がハンセン病であることを知った時の気持ちです。

藤本さんは、18歳の時に発病され(丁度、縁談がととのった時だったそうです)、明確な診断名を知らされずにハンセン病の専門病院を紹介されるんですね。その病院に入った瞬間そこにいる患者さんを見て、「地面の底が抜けたんです」と。自分がハンセン病と解り、気を失って倒れたそうです。

この本の副題は「ある女性の知恵の73年史」とあり、この本には藤本さんの日常生活や工夫が、ユーモアを交えて描かれています。

例えば、藤本さんは、その後失明されるのですが「何とか本を読みたい」と(今ならオーディオブックがありますが、戦後間もない頃のことです)、点字の勉強を始めます。点字は、普通は指の腹で読んでいくのですが、その頃には藤本さんの指は両方とも全て無くなり、手のひらだけです。その手のひらの感覚も無くなっているので、感覚の残っている「舌先」で点字を読む勉強を始めるんですよ。頑張り過ぎて紙で舌先を切り、口が血だらけになった仲間の話も出てきます。

こう書くと可哀そうな話に思えるかも知れませんが、そうではなく、ユーモアがあり前向きで、私はこの本を読むたびに勇気づけられます。「頑張ろう」と思えるんですよね。

私は現在、子宮頸がん(ステージ3 卵巣・大動脈リンパ節に転移あり)の治療中ですが、診断を受けた時も、今も、あまりショックを受けていないのは、厳しい境遇の中でも前向きに生きている人がいる、ということが大きいかも知れません。


中島さんのおすすめの本がありましたら、ご紹介いただけると嬉しいです。 

今日は洗濯日和ですので、たまった洗濯物を片付けるといたします。   

 かしこ。